長いトンネルの向こう

不登校児ひとり親の綴り

トンネル3

ここからは、ネットでひたすら

不登校」について調べて、

掘り下げる。

 

「行かなくていいよ。」

それに尽きるらしい。そうらしい。

 

会社で自分に対する面談が行われ、

児童心理士の見解を明日また伝えることになった。

 

ずっと涙が止まらない。

理由はわからない。

 

5日目、常に片隅にある学校のこと。

自責や他責が、まじいるが

間違いなく愛着障害がある自分が

養育大きなトリガーだと考えられる。

 

毎晩聞けるだけ、長女の話を傾聴した。

そこには恨みや自信の無さ辛さ。

まだ小学生なのに。とにかく謝った。

 

だか、起きた事象は変えれない。

 

スクールカウンセラーを入れて行くことをきめた。

 

委員会には出ずに、別室で部活まで

過ごした。

 

迎えに行くとクラスではない友人たちと

話をしていた。

 

「こんな感じでいつも周りに誰か、います」

とスーパーポジティブの担任は言ったが

そういう事ではない。

 

こうなる前にという他責がまた

泣かずにはいられず。

 

先生を追い詰めてはいけないと反省した。

 

その日心理士との面談で、ショートステイの理由を変えないで、バイトは辞めた。

  

こんなに心理士が、頼もしく見えたのは 

始めてのことだった。

 

やっと長女を預け、自分は同様のケースで

愛着障害発達障害が隠れていることを

本から学んだ。

 

そして、自分の寛解したはずの

鬱は再発した。

 

 

 

 

トンネル2(2月1日)

土日は、自分も過労から寝込んで

しまい布団の中だった。

 

長女が、自分に気を使わせていることを 

露知らず。

 

本来てあれば、ゲームをしたり

遊んだり金銭的にも余裕がなくなると

人間はどんどん追い詰められてく。

 

何も悪くない長女にも。

 

次の日、起きると長女は不登校の子として

狼煙を上げた。

 

「学校怖い」から、始まり

自分はその日のうちに児童精神科に連れていった。鬱ではない。

 

「これは、長いトンネルになる」と

心のどこかで、確信と。

 

長女のレジリエンスも、信じてやれずに。 

 

 

トンネル1(6日前)1月30日

ある日やって来た訳ではない。

長女の不登校

 

最初は、iPadに送られた。

「あたまいたい」と長女の写真だった。

 

次の日も、頭いたいと言うので会社を休んだら3時間目から行った。 

「友達と遊ぶから」

うれしそうにランドセルを起きにきた。

 

元気であればいいなと思った。

 

ただ、思えばこれが長女の精一杯であり

次の日から始まる不登校のSOSだったのだと思う。

 

#不登校